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写真部

2010.6.22のバージョンアップ以降、全然更新ができません。というか、やる気あるんだろうか?

写真部

別名、光画部とも。

雑記

高校時代の2年間(2-3年)写真部に在籍していた。

元々は頭数合わせの幽霊部員[1]。というのも、部員が極端に減り部を維持する最低人数を下回ることになったため、存続のためだけに友人に入部させられた[2]

幽霊部員といっても、中学の頃からクラス写真などを一眼レフを使っていた関係で写真を撮ること自体は好きだったし興味も高かった。実質的には幽霊部員どころか、写真部を引っ張る立場となっていた[3]

写真部に入る前から写真を撮っていたが、それまでは本当にただ撮るだけだったのに対し、写真部に在籍中にモノクロの現像から焼付けまでを学び、写真に関する基本的な知識を身につけた。

他にも、カメラを自作してみたり、写真部でほこりをかぶっていたものすごく古いカメラ[4]を使ってみたりと、なかなか楽しませてもらった。

芸術的な素養に不足していた(というかなんというか、経験不足?)ので、どちらかというと、テクニックで誤魔化す傾向が高かった。

光画部というのは、某漫画から。

しかし、振り返ってみると、実に妙な部であった。

部員は部を維持する最低限の人数(5人)しかいないにもかかわらず、専用の部室、暗室、文化祭で1クラス借り切っての展示ができ、予算もそれなりに潤沢。顧問の先生はいたはずだが、幽霊顧問で一度も部室・暗室に顔を出しておらず、誰だったか知らない。

写真部らしい活躍をしたかというとこれも疑問で、自分と他1名(3人が幽霊部員)が運動部の大会などに同行したまに写真を撮ったこともあるが、実質的には、文化祭の1ヶ月前程度から展示用の写真を撮る程度で普段は遊んでいることのが多かったように思う[5]

当時校舎を新築したのだが(在学中の1年の時に建て替え2年から使用した)、そのとき暗室は既に織り込み済みだった[6]ために暗室があるのは頷けるが、これとは別に部室まで確保されていたのは奇妙というしかない。暗室は充分な広さが無かったために部室があったとも考えられるが、部室に置いてあったのは、ほとんどがまったくの無関係のもの(バットやグローブなどね)ばかり。

こんな状況で、何故、部を維持できるだけの予算も出ていたのか。

2008.11.19

  • [1]他の正規クラブと他の同好会と既に二股状態で、とてもじゃないけど当初は写真部のことまで手が回らなかった。
  • [2]当時、校舎を建て替え立派な暗室を確保できたのにもかかわらず、危うく使うことなく廃部になるところであった。
  • [3]部長は某友人だったが、そっちのが幽霊部員だったこと、上級生がいなかったこと、そして元々写真好きだった自分がオタク素養を発揮してどんどんのめりこんで行ったからである。
  • [4]蛇腹で写真乾板を使うモノ。シャッター機構は無く、レンズキャップがシャッターの代わり。写真乾板は手に入らなかったので印画紙で代用した。
  • [5]別の意味で写真部らしいといえば、水泳部(の主に女子)の写真を撮ったことだろうが、半ば盗撮に近いこの行為が評価されるわけが無い。はずなのに、こんなことがあった後でも、水泳部の依頼でフォームの確認のためにビデオを撮ることがあったりする辺りがとても不思議…
  • [6]つまり暗室として使用することを前提とした造りの部屋があり、当然のように暗室ランプと連動した入り口の「使用中」のランプや流しが設置されていた。

カメラの話

四方山話


表示しているページの最終更新時間:2008年11月19日 16時36分37秒

Lord of Onzozoどーしようかねぇ